幸福論 アラン ラッセル 違い

人間だったら誰しも、楽しいと思える人生を送りたいですよね?人間は、どうしたら幸せになれるのか?この、人類普遍のテーマともいえる課題に取り組んできた哲学者の記録は、紀元前から多く残されています。その中でも、現在「三大幸福論」と呼ばれている3人の哲学者による考察があります。ここでは、三大幸福論から、とくに現代に通じる「幸せを呼ぶ言葉」をピックアップして、誰にでもわかるように解説します。フランス人のアラン(1868~1951)は、本名をエミール・シャルティエという高等中学校の哲学教師です。アランの「幸福論」は体系的な哲学書ではなく、新聞に投稿した短いエッセー集で、徹底した楽観主義が特徴です。現実の厳しさを受け入れて、自分の価値観をしっかりともち、何かにとらわれず大胆に生きることが幸福への道だと語っています。悲しみは病気のようなものですから、病気が癒えるように、時間が経てば悲しみも必ず癒えるのです。「もし、あなたが死んだら……」などと、人間は悲しみを想像して不安になるものです。お腹の痛みは、だんだん痛くなってきて、ピークを過ぎると次第に癒えてきます。悲しみは癒えるものだということを頭の隅に入れておかないと、毎日が怖いものになってしまいます。何かがうまくいったときは、うまくいったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまくいったのだと考えるべきです。人間の気持ちは物事の結果によって決まるのではなく、気持ちが結果を変えるのです。上司から面倒な仕事をふられたときに、「こんな仕事をふられるなんて、自分は不運だ」と考えるか、「自分のスキルをアップする仕事ができてラッキー」と考えるかによって、人生は変わります。どんなことにも楽しみを見出すことができる人間に、幸福は訪れるのです。どんな運命でも、それを受け入れて自分にとってよいものだと考えることで、よい運命となります。運命はコントロールできるものではありませんから、あれこれ考えても仕方がないのです。それならば、どんな結果も早く受け入れて開き直ったほうが、行動をプラスに展開できます。どんな結果も、最終的には自分にとってよいものになるのだという信念があれば、現実を受け入れることができます。先のことは誰にもわかりません。未来の展望も、過去への追憶も、存在しない世界に想いを巡らせることに変わりはありません。憂鬱な人は、本を読み過ぎる傾向があって、近くのものばかりを見ています。「物事を知る」ということは、どんなに小さなものにも、背景やストーリーがあるということを理解することです。目を書物の外に向けることで、見えてくるものがあります。自分が不幸だと不平ばかりいっていても、何も変わりません。不平は悪い天気のようなもの。天気の悪い日こそ、笑顔で過ごし、何でもないように振る舞いましょう。イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970)は、アインシュタインらとともに、核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」で有名です。58歳のときに著した「幸福論」は、自分の殻を抜け出していろいろなことに興味をもち、人生の楽しみを増やそうという快楽主義的なところと、歯止めやあきらめも大事だというバランス感覚が特徴です。自分の欠点ばかり気にしていると、自分自身にとらわれて不幸になっていきます。ネガティブな自己に没頭する時間があったら、面白いものや喜びを感じられるものに目を向けるべきです。世の中にはいろいろな人間がいて、たくさんのことが次々と起こっています。家族や愛する人、可愛いペットのことなどを思うと、心が温かくなって幸せな気分になります。成功は幸福の1つの要素でしかないので、成功を得るためにほかのことをすべて犠牲にする人生は不幸です。競争社会は、競争に勝って成功することが至上命題とされますから、中身のことよりも、とにかく成功すればよいという考え方になりがちです。こういう社会では、自分が本当に幸福かどうかということよりも、成功して人から幸せだと思われることに幸福を感じるのです。競争をやめて、本当に自分が楽しめることだけを追求すれば、幸せになれるのです。人間は退屈に耐えることができないゆえに、興奮を求めます。ところが、興奮が幸福となる生き方は、どんどん強い刺激を求めるようになっていきます。子どもの頃から刺激の多い生活に慣れてしまうと、若くして刺激の限界がやってきてしまい、なかなか幸福感が得られないようになってしまいます。ですから、興奮がないと幸福になれない生き方は、やめたほうがよいのです。物事に熱意をもって没頭できる人生は幸せです。しかし、物事に熱意をもった人というのは、1つのことを追求するあまり、とかく行き過ぎになりがちなところがあります。熱意が行き過ぎると、逆に不幸を招くことになるので、周りが見えなくなるような暴走は避けなければいけません。「わく」さえ心得ていれば、熱意は幸福そのものといってもよいもの。人生に首尾一貫した目的があれば、人間は幸福になれます。人間にとって仕事がないことほどつらいことはありません。仕事を楽しむための秘訣は、技術を高めることに熱中することと、物をつくり上げていく喜びをもつこと。自分の技術や苦労が形になっていくイメージを常にもつことができれば、仕事は楽しくなるはずです。「あきらめ」は、幸福の獲得において、「努力」が果たす役割に劣らないものをもっています。幸福は黙っていても得られませんから、人間は努力をします。しかし、努力すれば絶対に幸福が勝ち取れるかといえば、そうではなく、避けられない不幸というものがあります。ここでいう「あきらめ」とは、絶望ではありません。カール・ヒルティ(1833~1909)は、スイスの哲学者で、スイス陸軍の裁判長まで務めた法律家でもあります。聖書に強く感化され、宗教倫理的な著書を多く残していますが、その中に「幸福論」があります。しかし、その内容はキリスト教徒に限定されるものではなく、何かを信じ、行動することによって幸福はもたらされるという、万人に当てはまる真理があります。ヒルティの「幸福論」は、仕事こそが幸福をもたらすという話からはじまります。仕事と休息を対立させて考えるのは間違いで、人間は働くことに本質と喜びがあり、休息はその中で自然に与えられるものです。同じ仕事をするのでも、楽しみながらやる人と嫌々やる人では、楽しみながらやる人に幸福は訪れます。物事を生み出して、それがうまくいくように工夫する繰り返しが「仕事」ですから、工夫次第でいくらでも楽しくすることができるはずです。大切なことは、自分の仕事をよく考えて、「体験」することです。人といるときに楽しいのは当たり前のことで、ひとりでいるときも楽しめれば、常に人生は楽しいものになります。何でも他人と比較していたのでは、幸福感を得ることはできません。ヒルティは、キリスト教という視点に立って語っていますが、宗教ではなくても自分の信念があれば、孤独を恐れることがなくなります。自分の信念を貫く過程として、ひとりの時間は貴重なもの。不幸が避けられないものである以上、そこから目をそむけていては、いつまでたっても幸福にはなれません。不幸を乗り越えるために、まず必要なことは、熟慮して不幸と正面から向かい合うこと。不幸を不幸で終わらせるか、不幸を乗り越えた人でなければわからない幸福に変えることができるかは、自分次第なのです。見栄を張る心や、名誉を手に入れたいと思うことは、人からよく思われたいという気持ちの表れです。このような感情を払拭した人は、「気高い心」をもつ人です。幸福になるのは、他人を蹴落とす人ではなく、寄り添うことができる人です。人を幸せにする、人の役に立つということは、簡単ではありません。大きなことばかり考えていると、それができなくて挫折することが多くなります。例えば、朝、気持ちよく挨拶をするだけでも、お互いに気持ちよくなれます。お互いに相手を思いやることで、よい人間関係が構築されて、お互いに幸せになれるのです。価値のある生涯は、決して平坦なものではありません。いろいろな時期ごとに、いくつもの階段があるので、ずっと安定している人生というものはありません。人生には、うまくいく時期と苦労する時期が交互に現れます。こう考えると、いつか来る失敗が不安に思えるかもしれません。一度は苦労をしないと、幸福を感じることはできないのです。三大幸福論には、それぞれ、「楽観的になること」「物事に興味をもつこと」「信念をもつこと」という、人生に幸福を見出す基本理念のようなものがあります。3つの幸福論に共通しているのは、人生は楽しさより苦しいことのほうが多くても、心のもちようで生きることを喜びに変えられるという、能動的な姿勢です。そこから学べるのは、楽しいと思える人生を送るためには、自分を信じて何事も受け入れ、生きることを楽しみとしてとらえるアクティブさが必要だということではないでしょうか。 【参考資料】

『「大切なのは感情の本質をよく知り、それらとうまく付き合いながら自分のために使いこなすことです。そうすることで初めて、私たちは幸福に生きていくことができるのです」。幸せとは何なのか。「三大幸福論と呼ばれる3人の別の哲学者が書いた幸福論があります。アラン、ラッセル、ヒルティのそれです。いずれも有名でかつ特徴があります。アランの幸福論は、とにかく前向きに考えるよう呼びかける楽観主義が特徴です。また、ラッセルの幸福論は、趣味に没頭せよだとか、子どものころから刺激を与えすぎるなといった幸福の本質を突く現実的なものです。これに対して、ヒルティの幸福論は、キリスト教に基づく心の安寧を説くものです。ここで注意が必要なのは、一見異なるように見える彼らの主張に、ある重要な共通要素が存在する点です。それは、彼らの説く幸福がいずれも心の問題にすぎないということです。つまり、同じつらい状況を前にして、アランは前向きに考えろといいますし、ラッセルは現実的になれという。ヒルティは神に身を委ねよというのです。これらはすべて、気持ち次第で幸福感が得られることを示しています。ということは、自分の中に生じる感情をうまく使いこなすことができれば、幸福になれるということです」。感情をうまく使いこなせば、誰でも幸せになれるというのだ。「『努力した』という経験(達成感)こそが、あなたを幸せにする」、「義務感があるのは、誰かに必要とされている証」、「罪悪感があるから、人は何度でも生まれ変われる」、「親近感を育てることが幸せへの近道」、「嫌悪を乗り越えた後に幸福はやってくる」、「人は(他人が持っていて、自分には備わっていない)何かを追い求めている時に、幸せを感じる」――本書で、義務感や罪悪感、劣等感までが幸福に繋がり得ることを学んだので、私も幸福になれそうな予感がする。

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