島田 乾 生 現在

乾生くんは、高校時代に、友だちと4人のアカペラグループで歌っていた。 乾生くんがお父さんにexileのオーディションについて話し、お父さんの「受けてくれば」の一言から始まった。 乾生くん本人も「受けてみるか」という、軽い気持ちで臨んだそうだ。 SixTONESの松村北斗さんは、グループの中での人気が高いですよね。 「演技班」担当であり、 ドラマや舞台でも活躍する松村北斗さんの、 2020年最新版の歴代彼女 をまとめました。. 東京出身、鎌倉+オレゴン育ち。米オレゴン州の高校(1997年)と大学卒業(2001年) ⇒ 高校から大学まで約8年弱のアメリカ生活を経て帰国(2001年) ⇒ ITベンチャー ⇒ PR会社/広報代理店 ⇒ エレクトロニクス・エンタ世界大手で広報 ⇒ 約10年の会社勤務生活に終止符(2010年10月) ⇒ 田舎へのバックパッカー旅、30キロの荷物担いで、毎日テント暮らし開始。ブログ「田舎バックパッカー(旧・冒険する人生の記録)」開始 ⇒ 初一軒家「ハイエース」(トヨタ&アネックス)購入・バンライフ開始(2012年5月) ⇒ 能登移住、“弥生系”古民家(家賃3,000円~)で田舎暮らし、フリーランス開始(2013年5月~) ⇒ スキルフル活用し広報・ブロガー・ライター・牡蠣販売サポート・著名人の取材コーディネート・ウェブ制作などを主軸事業に。能登の穴水町岩車を拠点に徳島県上勝町・鎌倉/東京・バンの四拠点生活 ⇒ 娘・結生 誕生(2013年10月) ⇒ “平成系”古民家に引っ越し(家賃2万5千円)(2017年4月~) ⇒ 築50年の“昭和”系古民家を数十万円で購入。Carstay社でPRO(広報オフィサー)(2019年1月~) ⇒ 国内初の長期滞在可能で“住める”駐車場「バンライフ・ステーション」と、シェアハウスとコワーキングスペースの「田舎バックパッカーハウス」オープン(2019年12月~)Copyright © 2011年1月26日(水) – 小呂小中学校訪問後、12:30過ぎに、小呂島公園に張ったテントへと戻った。昼食を作るために、飯盒、鍋、ガスなどの炊事道具、米、ふりかけ、塩昆布などの食材を持って、水やトイレがある定期船の待合室へと行った。ここでお昼ご飯をつくるのだ。【福岡県 小呂島 ぼくらはいつもこんな感じで自炊をしている。】昼の準備を結花に任せ、お菓子やお酒(?!)など、もろもろ今夜必要になりそうなものを買いに、ぼくは民家の間の狭い道を通り、待合室から約50~60メートル先にある島の商店「購買部」へと向かった。(島のお店は基本高額なので、できるだけ節約している二人だが…お酒や甘い物には弱い…)購買部付近の漁協では、この日捕れた魚の出荷作業中。水鰈(みずかれい)、鮟鱇(あんこう)などの魚や氷が入った発泡スチロールの箱をベルトコンベアにのせて、次から次へと、出荷する船にのせている。その作業現場には、若い人たちが多い…【福岡県小呂島 漁協小呂島支所「購買部」】しかもここは九州本土から遠い僻地5級の“離島”だ。購買部に行く予定だったのだが…これに興味津々になったぼくは、作業をしている人たちに話しかけた。【福岡県 小呂島の漁港で作業中の若い漁師たち】「こんにちは!ここには本当に若い方々が多いですね!なんでしょうかね?」とベルトコンベアに箱をのせているメガネをかけた年輩の人に話しかけた。「そうだろう~」と、にやにやした笑顔で返答してくれたのはよかったんだけど…理由を含む明確な回答ではなかったような…。作業中で忙しそうなので無理もないかぁ。っと、忙しそうなので、ベルトコンベアに向かってきたおじさんに改めて話しかける。すると、「そうなんだよ。若い人たち多いだろう。とにかく寒いから…向こうで話そう」とストーブがある小屋に入り、お餅を一つ頂き、食べながら会話を楽しむ。もしかして、「漁師の稼ぎも魅力の1つでは?」と思い、聞いてみた。 巻網漁の初任給は、17万~18万円。2年目から20万円以上になる。現在、58名の漁師が小呂島にいる。巻網漁の漁獲高は約5億円。1~5月の個人漁では、自分の技術次第の漁になる。1家族で平均約50万円以上の稼ぎになるそうだ。また、7月から4カ月間が海女さん漁の解禁となるので、家庭によって稼ぎは若干ことなる。船の値段は4,000万~7,000万円。船の値段に関しては以前、【福岡県 小呂島で出荷作業中】そして、午前中学校の先生から聞いたことについて聞いてみた。 「この島には、島田乾生(しまだげんき)くんという、EXILEのオーディションに出た“歌手”がいるそうですね。乾生くんは、歌の才能があるのに、島に戻り、漁師をしていると聞きました。彼にとっては、どんな魅力があったでしょうか?」と聞いてみた。「それなら本人に聞いてみた方がいい。彼ならあそこ(漁港の出荷現場)で今作業をしてるよ。誰だかわかるか?紹介してやるよ」と、またベルトコンベアの作業現場へと戻った。すると、最初にベルトコンベア付近で話していたメガネのおじさんを紹介してくれた。このおじさんが乾生くんのお父さんだった。お父さんはすぐに、箱の船積み作業をしている乾生くんにぼくのことを話してくれた。定期船の待合室で結花が待っているが、乾生くんと会えそうだし、しょうがないか…と思い、話し続ける。しばらくするとこの日の出荷作業が終わった。作業員の方から、缶コーヒーを頂き、船で最終箱詰めをしていた乾生くんを待っている間に、お父さんに自己紹介含め、旅の背景/理由などについて話した。乾生くんのEXILEボーカルオーディションについて、お父さんに話しを聞いてみた。父親としても、乾生くんの将来について、いろいろと迷った。このオーディショで受からなかったら歌を諦めるという約束があったようだ。3万人のうち10人にまで残った乾生くんは島に戻り、漁師を継いだと話す。結論から聞いたが、この裏には様々な理由がある。子どもと一緒に漁もしたかったんだとも思う。【福岡県 小呂島 乾生くんのお父さん】 乾生くんの漁の作業が終わり、乾生くんにまずは自己紹介をする。約1時間、乾生くんと外で立ち話をしてしまった…小呂小中学校を訪問したときに聞いた話によると、「漁師になりたい」という若者が多いのかと思っていたが、乾生くん含め若い人たちの話しを聞いていると、皆がみんなそうではないことがわかってきた。 家族や学校での教育の影響も強いはずだ。「時代は変わっていくし、世代ごとで夢に対する考え方が変わる」と話す。上の世代でも若い時に同様の悩みや疑問を抱えていたのではないだろうか。が、この島では、「仕事は漁師だけではない」という考えが、若い世代の中で強くなってきているのが現状のようだ。また島に残るもう一つの大きな背景には、「船のローン」という厳しい現実もある。3年前に新しい船を購入した島田さん家族は、乾生くんが継ぐことも想定して購入している。【福岡県 小呂島の漁船。立派な船が多かった】これを聞くと、単純思考なぼくは、「やりたいことができないなんて!」と思ってしまう。幸いなことに、ぼくらは大きなローンや後継ぎ文化などの荷物は背負っていない。「自分が同じポジションにいたら、どうするだろうか…」。自分の「やりたいこと」への強い想い次第だろうか… 乾生くんは、自身の歌をとおして、“夢”、“感動”、“希望”をみんながもてれば嬉しい、と感じている。漁師になった今、残りの時間で、プロとしてではないかもしれないが、たまにライブをするなど、これからも歌を続けるつもりでいる。島の“問題”とも向き合う。夢への限界を、これからの子どもたちに背負わせてはいけない。漁師をやりたければやればいい。しかし、他にやりたいことがあるのに、それを諦める子どもが出てはいけない。島の子どもたちに希望を持たせたい。乾生くんは自分が島に残り、そんな文化を変えていくことができると思っている。漁師だけでなく、他の“道”もあることを子どもたちに見せたい。漁獲も減っているなど、漁業の先の厳しさが見える。あらゆる夢に手を伸ばして、もっと広い視野をもった島でなければいけない。【福岡県 小呂島】 島の自然、家族との助け合い、学校での教育など島で培った感受性の豊かさから、想像力、芸術性などの才能に優れた子どもが多い。スポーツ、作文、絵のコンクールなど、島外の高校などで実績が出ている。乾生くんはバトミントンもしていて、高校の時に福岡地区学年別大会で優勝経験もある。実業団から誘いもあったそうだ。島出身者が有名になれば、やり方次第で島にポジティブな影響があるかもしれない。夢に向けて一生懸命取り組む子どもたちが生まれなければいけない。もう少しいろんな世間を知ってほしい。自分が何かを起こしたい思っている」と乾生くんは言う。乾生くんが、先行事例になって、子どもたちの“夢”の先陣を切ればより説得力が増すとも感じた。3万人のオーディションから、10人にまで残った乾生くんだ。可能性は高いのでは?“歌”いたい気持ちはあるが家族のこともある。家族や島との約束もある。「結果、もし実現できなかったら?」でもやってみないとわからない。【福岡県 小呂島の漁業現場。船の上にいるのが乾生くん(!?)(おそらく背を向けている人かな…)】「家族がいなかったら、今の自分は成り立たない」と家族への想いも強い。ぼくらとはこれまでの生活スタイルが全然違った。 第一に、“小呂島の生き方”を担いで生きてこなかった。ぼくらのようなサラリーマン家族の生活とは違い、乾生くんは幼いころから、父親の仕事「漁師」を手伝って体感してきた。比較的、自由な道「学校へ通い、会社に入社して、暮らしていけばいい」という背景から育ったぼくらから言えば、「え!でも自分の夢はどうするの?」「やりたいことをやったほうがいいんじゃない?」という疑問が浮かびあがる。しかし、ここで育っていないぼくらは肌で小呂島の仕事を体感していない。暮らし方が違ったから、この考えを深く感じて理解することは難しいかもしれない。これから、小呂島は変わってくるだろうか。そんな考え方をもった世代が親になってくる。そんな考えを持っている若い人たちが増えると、島全体が変わってくるだろうか?「上の世代でも、皆が皆、漁師がすごく好きなわけではなかった。高校に行ったらもう戻ってこないだろう」と思われて、島外に出られなかった時代もあったそうだ。お父さんの世代も同じ悩みを強く抱えてきたのだろう。「自分のやりたいことをおさえる」「やりたいことを島内でやる」「家族や島を置き去りにはできない…」「一人勝手なことをすると、みんながそれに続いてしまい、それが島の過疎化の始まりになってしまうかもしれない」など、難しい悩みや疑問が頭を過ぎる。【福岡県 小呂島のかわいい子ども。彼もこれから夢をもつ】 夢を追うことで、ポジティブなことも考えられる。島内外を“つなげるきっかけ”になる若者が多くなるかもしれない。乾生くんが有名になることで、やり方次第で、小呂島の更なる活性化に繋げられる一歩になるかもしれない。レストランを開きたい若者がいたら、小呂島専門店のレストランにして、魚は小呂島から取り寄せて、小呂島の食文化や島に関する情報も同時にアピールすることもできる。将来の可能性に“リスク”というネガティブ面もあるが、ポジティブな面もある。これから乾生くんは、次世代の子どもたちのために、島の文化の変革に励むのだろうと思う。約1時間、乾生くんと外で立ち話をしてしまった。乾生くんはこれから漁があるので、仕事が終わったら、飲みながら話すことになった。待合所に戻ると、結花はもう既に食べ終わっていて、「だって…イクちゃん遅いんだもん…」と結花はいじけてしまっていた。「ごめん。ごめん。さっき乾生くんで会って、今夜飲むことになったから」と、いじけた結花の気分をほぐす。<続きは< 前回のストーリー 『< 次回のストーリー 『   最高。僕も取材しましたが、ゲンキ君の人間性は最高ですよね。コメントありがとうございました!(返信がマイペースですみません)

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